Italia「イタリアご。日本ご。」

 こちらに着いて、1週間が過ぎようとしています。
今日はあいにくの雨。
 細い通りの間から、分厚く曇った真っ白な空に突如現れたDuomo(ドゥオモ)はまるで、画用紙に貼付けた絵のようでした。

 相変わらず、日常の生活。幸いなことに日々、少しずつイタリア語を思い出しつつあるのを実感しています。語学というのは本当に、使わないとすぐに忘れるものです。。

 ところで私の通っている工房のマエストロは、日本語を勉強していたことがあります。それもきちんと、コースに通って。
 個人的にも日本びいきで、日本人のお客さんも多いので習い始めたようですが、外国人、それもイタリア人にとっての「日本語」という言語を考えると、私は途方に暮れます。
 日本語をやろうと思うその気持ちが、もうすでに尊敬に値すると思います。

 留学して、外国人に色々聞かれて初めて、私たち日本人は通常、ひらがなカタカナ漢字という、3種類もの「アルファベット」を使っていること、意味や由来によって使い分けていること、同じ読みでも漢字によって意味が違うこと、、など、それまで意識もしていなかったようなことを一から説明せざるを得ない状況に追いつめられ、その度に途方に暮れ、「わかるわけないんだから聞かないで〜…」といつも思っていました。

 そして「日本語」について説明するには、説明するその言語もよく知っていなければならないということを、実感するのです。
その逆も然り。
 以前少し通訳のお仕事をさせてもらったときに痛感したのは、イタリア語で簡単な文章ほど日本語に訳しづらい、ということです。イタリア人は「Bello(a)/ベッロ(ベッラ)」という言葉を本当によく使います。「綺麗、美しい、素晴らしい」…という意味なのですが、ただ「Bella!!!」とだけ言われて直訳しても、ばかみたいな訳になってしまうので、、なんとか日本語で格好のつくように訳すのですが、、そんなとき、日本語の言い回しをよく知っている必要があるなと度々思いました。

 そんなこんなで、今現在、工房では、イタリア語と日本語が飛び交います。
普段はイタリア語で話しますが、ちょっと気分を変えたいときに日本語で話すと場が和んだり。言葉のもつ力というのはすごいです。

 日本語よりもイタリア語で話す方が距離が近づくのは、日本語では、わずかでも年上相手であれば敬語を使う他ありませんが、イタリア語だと相手が年上でも目上でも「tu(君)」という呼びかけを使うことができるからだと思います。イタリア語でも敬語は存在しますが、お客さんやすごく目上の人、あるいはビジネスシーンが主で、普段はあまり使いません。
 そこの使い分けは私も未だに迷うところではあるのですが、日本語ほど敬語が強くない、ということは事実です。

 要するに、日本語に置き換えれば、私はマエストロに対しタメ口をきいているようなものなのです。なんとも日本では考えがたいことです。 これはイタリア語のいいところだと思います。

 その上、外国人の話すカタコトの日本語というのは、ずるいくらいにかわいい...
たとえ、おじさんでも。
逆もそう聞こえていればよいのですが。。